石井亮次アナはゴゴスマの司会者として活躍するフリーのアナウンサーです。
石井亮次アナの小中高校や大学、フリー転身までの経歴が気になったので調べました。
石井亮次アナがフリー転身

石井亮次アナは2020年3月31で今まで勤めてきたCBCテレビを退社。
2020年4月1日から、ジャパン・ミュージックエンターテインメント所属のフリーアナウンサーに転身しました。
きっかけ

石井亮次アナがフリーに転身しようと思ったきっかけは、2018年に現在所属している事務所に話を持ちかけられたこと。
CBCに在籍していた時、ジャパン・ミュージックエンターテインメントからフリーにならないかと電話があったそうです。
石井亮次アナは当時、スタッフの誰にも言わず、こっそりと名古屋市内の居酒屋で一緒にご飯を食べたとか。
その時フリーの提案を受けた石井亮次アナは、「ゴゴスマを続けたい」と伝えました。
ゴゴスマのスタート時から、ずっと一緒に頑張ってきた仲間や番組自体に深い愛着があるのでしょうね。
「最初からみんなで地べたをはいずり回ったスタッフとゴゴスマで1位になりたいんです。」と語るほど。
ジャパン・ミュージックエンターテインメントからは、「ゴゴスマをやりながらフリーになったらいい。いろんなものに出てゴゴスマのPRができる。」と言われたそうですが、その場では、「全然、考えていません」と。
会社員からフリーになるという人生の大きな決断に、足踏みをしてしまったのかもしれません。

フリーの提案を受けたことを家に帰って石井亮次アナの奥さんに言ったところ、「行ってこい!フリーになれ!」と背中を押され、石井亮次アナはフリーになることを前向きに考えれるようになったそうです。
夫の大きな決断を後押しする石井亮次アナの素敵な奥さんの詳しい情報はこちら↓
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奥さんだけでなく娘さんにも「お父ちゃんいける!」と言われ、家族からの熱烈な後押しにより、フリーになる勇気が沸いたことでしょう。
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石井亮次アナのフリーアナウンサーとしての目標は、NHK紅白歌合戦の司会者!
実力も人気もある石井亮次アナなら目標も、達成していまうかもしれませんね。
石井亮次アナのアナウンサー時代

石井亮次アナのアナウンサー人生は、順調そうに見えますが、実は波瀾万丈!
スポーツ実況要員として採用してされましたが、実際にスポーツ実況が出来たのは入社してからのたった2年間。
その後は、バラエティや報道番組など幅広く担当していました。
2013年ゴゴスマの司会に抜擢

石井亮次アナにとって転機となった出来事は、ゴゴマスの司会者に大抜擢されたこと!
ローカルから全国へ、石井亮次アナの知名度が広がるきっかけになったようです。
ゴゴマスは始め、東海3県(愛知県・岐阜県・三重県)のローカル番組でしたが、2015年3月30日からTBSテレビでの放送が開始され全国番組に変わりました。
石井亮次アナがゴゴマスの司会者に大抜擢された背景には、タレントの友近さんの影響が。
友近さんが才能があるのに売れない芸能人を芸人仲間が紹介する深夜番組「うもれびと」で、石井亮次アナを紹介。
友近さんからは、「(うもれびとの出演で)あんたの人生これでかわるで!」と言われ、その後、ゴゴマスの司会に抜擢!
石井亮次アナの人生は大きく変化したようですね。
2019年には好きなアナウンサーランキングで5位に!
好きなアナウンサーランキングに、ローカル局のアナウンサーがランキングinすることは異例のできごと。
石井亮次アナが異例のランキングinを達成するまでの知名度や人気を得たのは全て、ゴゴマス司会者に大抜擢されたことからのスタートでした。
ドラマに出演

ゴゴマスが全国放送に変わってから、石井亮次アナの人気は鰻登り。
イケメンで整った顔立ちから、俳優としても活躍しています。
- 2015年・2018年:『下町ロケット』
- 2017年:『陸王』
- 2018年:『ブラックペアン』『都庁爆破!』
全国放送以前のローカル時代の若い頃の石井亮次アナはあまり知られていませんが、若い頃も爽やかなイケメンでした。
詳しくはこちら↓
石井亮次アナは若い頃からイケメン!時系列で現在までの画像を調査!

アナウンサーだけでなく俳優として活躍するとは、石井亮次アナがアナウンサーを始めた時は想像していなかったでしょう。
受賞歴

石井亮次アナは人気だけでなく、確実な実力も持っているアナウンサーです。
数々の賞を受賞しています。
- 2003年:第29回アノンシスト賞ラジオ「フリートーク部門」:最優秀賞
- 2005年:第31回アノンシスト賞テレビ「フリートーク部門」:優秀賞
- 2009年:日本民間放送連盟賞最優秀賞『家族記念日』ナレーション
- 2015年:日本民間放送連盟賞最優秀賞『きれいに、定年はない。』ナレーション
- 2017年:日本民間放送連盟賞最優秀賞『1/6の群像』ナレーション
- 2017年:文化庁芸術祭賞大賞『1/6の群像』ナレーション
- 2020年:文化庁芸術祭賞優秀賞『土がくる~規制なき負の産物の行方』ナレーション
石井亮次アナが人気になったのは、「アナウンサーとしての確かな実力が備わっていたから」なのは間違いないでしょう。
石井亮次アナの就職活動

石井亮次アナは、2000年に中部日本放送にアナウンサーとして採用され、アナウンサーになりました。
石井亮次アナのアナウンサーになるきっかけや経緯を調べたところ、とても面白かったので紹介します。
きっかけ

石井亮次アナがアナウンサー試験を受けたきっかけは、大学時代に付き合っていた彼女。
彼女からアナウンサー試験の内容が面接だけだと聞き、石井亮次アナもアナウンサー試験を受けました。
彼女の話しを聞くまで石井亮次アナは、アナウンサーは英語が喋れないとダメで、大学受験並みの難しい試験があると思っていたそうです。
小学生の頃からひそかにアナウンサーに憧れていた石井亮次アナは、試験内容を聞き受けずにはいられなかったのでしょうね。
就職留年

石井亮次アナは大学4年の1999年に、東京、大阪、名古屋のテレビ局を受けましたが全部不合格。
全て不合格になりましたが、石井亮次アナは諦めきれず、翌年もアナウンサー試験を受けようと意図的に大学の留年を決めました。
石井亮次アナは不合格になったものの、彼女の話を聞き思いつきでアナウンサー試験を受けた割には、手応えを感じたとか。
「頑張っているうちは負けじゃない。あきらめたらそこで負けやから」という石井亮次アナのお兄さんの言葉も就職留年の励みになったそうですよ。
石井亮次アナの父親も、アナウンサーになる夢を反対せずの応援していたとか。
石井亮次アナの夢を応援してくれた父親について詳しくはこちら↓
石井亮次アナの父親は仕事熱心で面白い人!肝硬変で亡くなる間際まで冗談を言っていた!

翌年アナウンサーとして就職できるかわかない中、就職留年をする心境は平穏ではないですよね。
お兄さんの言葉が力強く聞こえ、翌年無事にアナウンサーにとして就職できたときは、ほとしたことでしょう。
就職留年してまでアナウンサーになりたかったわけ

石井亮次アナが就職留年までしてアナウンサーになりたかったわけは、何かしらテレビに出れると思ったから。
石井亮次アナは、最初お笑い芸人になりたかったそうですが、テレビに出れるようになるまでに時間がかかることに我慢できそうにないと考えたそうです。
そこで、はじめから何かしらの形でテレビに出れるアナウンサーになろうと思ったとか。
人生が変わる1分間の深イイ話×しゃべくり007 合体SPに石井亮次アナが出演した際以下のように語っていました。
僕、お笑い芸人さんへのリスペクト、尊敬がもうすごいんです。
ちょっとお笑いになりたい!みたいのもあったんです、最初は。
(でも)お笑いでテレビに出るまで高い山の9合目ぐらいまで来て、ようやくテレビに出られる。
そんなことは絶対できないだろう。
テレビ局のアナウンサーになれば、テレビに何かしら出られる(と思った)
石井亮次アナはアナウンサーというよりは、テレビに出ることができる職業になりたかったのでしょう。
また、お笑い芸人だと笑いのハードルは高いが、アナウンサーだとハードルは低いので、少し面白いことを言うだけで、「面白いアナウンサー」と言われる点でも、アナウンサーは美味しいと感じると話しています。
アナウンサーにこだわった理由が「テレビに出れる」からだという石井亮次アナは、面白い人のようですね。
ちなみにアナウンサー試験の面接では、「野球の実況がやりたいです」と言ったそうですよ。
石井亮次アナの大学

石井亮次アナの出身大学は、同志社大学文学部。
大学受験をして入学したのではなく、高校からの内部進学でした。
大学時代石井亮次アナは、当初実家のガソリンスタンドを継ぐ予定で、危険物取扱者の資格の取得したそうです。
結果的にアナウンサーになったので、実家のガソリンスタンドはお兄さんが継いでいるとか。
人生、何があるかわかりませんね。
石井亮次アナの高校

石井亮次アナの出身高校は、大阪府にある同志社香里高校。
中学校からの内部進学で入学しています。
高校時代部活はゴルフ部。
アルバイトは、実家のガソリンスタンドでしていたそうです。
ハマっていたことは、ラジオ番組を聴くこと。
よく聴いていた番組は「MSBヤングタウン」で、リスナー参加型の企画に電話で出演したこともあったそうですよ。
石井亮次アナの中学校

石井亮次アナの出身中学は、大阪府にある同志社香里中学校。
部活は、サッカー部。
お笑い好きの石井亮次アナは、「なんばグランド花月」にお笑いの舞台を見るためにたびたび足を運んだそうです。

同志社香里中学校は私立の学校で、石井亮次アナは中学受験組。
出身中学の同志社香里中学校以外にも2校受けましたが、2校連続で不合格。
同志社香里中学校を受験する前、「三つ目落ちたら恥ずかしいから、三つ目受けるのは嫌だ」と泣いて母親に訴えたとか。
石井亮次アナの母親は、「あほか。そんなんで、がんばってきたのにくじけてどうする」と怒り、受験まで残り1週間、「苦しい時こそ、真価を問われるんや」と石井亮次アナに付きっきりになって、勉強を教えたそうです。
この時初めて母親に怒られたと石井亮次アナは話しています。
母親の激励により、石井亮次アナは見事に同志社香里中学校に合格し、「あきらめずに最後までやる」ことの大切さを学びました。
石井亮次アナがフリーのアナウンサーとして活躍できるまで上り詰める事ができたのは、あきらめずに頑張ってきたからなのでしょう。
石井亮次アナの小学校

石井亮次アナの出身小学校は、東大阪市の石切地区にある以下の2校のどちらかの可能性が高いでしょう。
- 東大阪市立石切小学校
- 東大阪市立石切東小学校
小学生時代石井亮次アナは、野球少年。
石井亮次アナが小学3年生のとき(1985年)阪神タイガースが優勝。
石井亮次アナは大の阪神ファンでテレビ中継もよく見ていました。
テレビの音を消して、ラジオの実況を聴くという独特の楽しみ方をしていたとか。
石井亮次アナは野球の試合の展開も気になっていたそうですが、それよりもラジオで喋っているアナウンサーに興味心身。
しゃべっているおっちゃんが格好!
学校で野球実況のマネをするほど、ラジオ実況に憧れていたと石井亮次アナは話しています。
また、実家が営むガソリンスタンドで営業時間中にNHKラジオ第一放送や毎日放送(MBSラジオ)を流していたことも、石井亮次アナがアナウンサーに惹かれることに影響しているそうです。
石井亮次アナの実家のガソリンスタンドの詳しい情報はこちら↓
石井亮次アナの実家のガソリンスタンドはENEOS若江岩田SS!現在は兄が経営している!

石井亮次アナは前に出るタイプではなかったので、アナウンサーに憧れていたことは心に秘め、誰にも話さなかったそうですよ。
石井亮次アナのプロフィール

- 名前:石井亮次(いしいりょうじ)
- 生年月日:1977年3月27日
- 血液型:O型
- 身長:181cm
- 出身地:大阪府東大阪市石切
- 出身校:同志社大学文学部
- 職業:フリーアナウンサー
- 事務所:ジャパン・ミュージックエンターテインメント
- 元CBCテレビ所属
石井亮次アナの経歴をまとめ

石井亮次アナの小中高校、大学、フリー転身までの経歴を調べました。
- 2020年にフリーに転身
- 家族からの後押しでフリーになることを決めた
- 2013年にゴゴスマの司会に大抜擢されたことで、全国的に知られるアナウンサーになった
- ゴゴスマの司会に大抜擢されたのは、友近の影響
- 2019年に、好きなアナウンサーランキングで5位
- 数々の賞を受賞するほどアナウンサーの実力は確か
- アナウンサーになりたかったので就職留年した
- 出身大学は、同志社大学文学部
- 出身中高は、同志社香里中高校
- 小学生の時にアナウンサーに惹かれた
石井亮次アナがこれからもアナウンサーとして活躍していくことを応援しています。
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